会社員橋本の葬儀AtoZ

2020年12月19日

急速な経済発展につれて大きな曲がり角の檀家制度

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東京オリンピックが開催された1939年頃までは首都圏などへの人口移動がまだ目立つほどでありませんでした。このため、人々は殆ど先祖代々の地域に住んでいました。従って、人が亡くなると多くの喪主は自宅などで葬儀を行ってから遺骨を自宅近くで寺院の運営する墓地へ眠っている先祖と共に埋葬するのが習わしでした。

江戸時代からの檀家制度が維持されてきたわけです。こうして、近親者が亡くなっても墓地探しや埋葬後に実施する法要でも苦労しないで済む代わりに寺院や住職一家の経済的維持に一役買っていたわけです。お布施の供出義務や寺院で催される様々な行事への役務提供などが必要でした。

長い間、檀家制度は地域の住民と寺院の間に互助の機能が働いていたといえるようです。ところが、国内の経済発展が始まってくると地方から職を求めて大都市圏へ引越す人口移動が目立ちだしてきて、寺院の抱える檀家の減少がはっきりしてきました。

特に、地方から中年族や若者が引越して都市部に居を構えてしまうと檀家としての役割を負うことが経済的、及び時間的に大きな負担となってしまいました。また、都市部へ引越した人が亡くなると故郷でなく、都市部で葬儀を行い、自治体管理の霊園に埋葬するケースが増えています。

こうして、徐々に故郷の墓地が放置されるようになってしまったわけです。先祖が菩提寺と墓地に関する契約を文書で取り交わしているケースは少ないようです。従って、口頭で伝えれば檀家の契約を終わらせることができますが、こうした手続きすらしないケースが増えているようです。檀家制度が曲がり角に来ているわけです。

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